新社会人へのお祝いにペンがぴったりな理由
何かの折に、お祝いの品を贈る、というのは人間らしくて、文化的な素晴らしい行為です。
それだけに、ものを選ぶのが難しいものでもあります。
大切に思っている人に対してほど、その大切に思っているという事実を表現するようなものをあげたいと思いますから、半端なものでは納得がいきません。
あるいは、仕事で取引のある相手などに贈答するとしても、とにかく礼を失しないように気をつけるべきですし、さらにポジティブな評価を得られれば、実利に繋る可能性も考えられますよね。
そんな儀礼的な文化の風習の一様態として、新社会人へのお祝いとしてペン類を贈答するという一種の典型はあります。
でもなぜ、新社会人へのお祝いに、ペンを贈るのが賢明な選択とされるのでしょうか。
そもそも社会人になるというのは、ライフサイクルの中でどのような位置にあるでしょうか。
社会人になる前は、幼稚園から小学校へ、中学校へ、高校へ、人によっては大学、大学院へ……というふうに複数回の進学のイベントが発生しています。
もちろん、どのイベントも非常に大事なもので、一度限りのものです。
しかし、少し大きなマクロ視点で見ると、進学のイベントという括り方をすれば、どの学校への進学も同じカテゴリーになります。
新社会人になる、というのは本当に一度きりのイベントです。
転職は大いにあり得ますが、もちろん新社会人になるという意味を含むものではないですよね。
新社会人になるというタイミングは子供から大人になるという成長の、明確な区切りの点です。これ以降の人生は、象徴的には「自立の時代」に入るわけです。
自立のために、仕事は最重要カテゴリーです。
人生=仕事と言い切ってしまうような、潔い主張を持っている人もいるほどです。
大人になってからの署名、サインは、責任の所在を明確にするものです。
よくある話ですが、そうした意識が薄いと、悪質な詐欺グループが契約内容を偽っているような契約書に、よく読まずにサインしてしまう、といったような事態を招きかねません。
職場で書き記した情報は、ちょとしたメモ書きでも、社外秘が原則。
シュレッダー処理をしないと破棄してはいけない、というルールのある会社も多いです。
社会人になって以降、自ら手書きする文字の価値というものが、格段に重くなるのです。
そうした重要な筆記行為のための用具として、良いものを贈るというのは、送られる側の気持ちにとっても、大きな価値を持つものです。